四 楽しい時間

 中国には、実に様々な地域から留学生が集まっているが、吉林大学には、日本、韓国等、東アジアからの留学生に加えて、ロシア、インド、パキスタン、アルゼンチン、アフリカの国々からの留学生が多く、アメリカやヨーロッパ諸国からの留学生は少なかったと記憶している。留学生は主に、友誼会館と南湖会館という二つの寮に住んでいた。南湖会館に移ったとき、ルーターの設定方法がわからず、部屋の前を通りかかった背の高い黒人の留学生に尋ねた。彼は部屋で三分ほど何かを確認してから、どこかに行ってしまった。数時間後、戻ってきた彼は、買ってきたコードを繋げてインターネットを使えるようにしてくれた。お金を払うといったが、引っ越しのお祝いだと言って受け取ってくれなかった。そして、またその大きな歩幅であっという間にいなくなった。
 風が吹き抜けるように夏が終わると、瞬く間に氷点下となり、鼻水が凍るほどであった。留学生寮は、この時期、特に閉鎖的な空間となった。基本的には互いに助け合っていたが、世界平和はここでも遠かった。アルゼンチンからきた友人のMは、パキスタン人は遊んでばかりで努力しないと批判していた。パキスタン人とインド人は、互いに挨拶も交わさない中であった。かという私も、なんとなく居心地の良い友人というのは、良くも悪くも西側の価値観を共有している間柄であったと言って良いだろう。
 こんなこともあった。同じクラスだった韓国人のCが、中国人の女の子Jを紹介してくれた。Cが大学の言語学部の掲示板に、「中国人の友人求む」と張り紙をし、彼女がそれを見つけて、連絡したのだという。Jは長春市内の別の大学の学生で、その時はたまたま吉林大学に遊びに来ていたそうだ。笑うとキュッとなる目尻に、誰もが彼女の心の優しさを知るのだった。C、J、韓国人のP、ロシア人のAと私の五人は、しょっちゅう一緒に出かけた。桂林路の夜市に食べ歩きにいったり、南湖公園でAが流行らせたスケボーを練習したり、部屋で映画をみたりした。グルメなCが色々と計画してくれ、ロバ肉を食べに行ったりもした。その数日前に危うく狗肉を口にしかけたせいで、半信半疑で肉を凝視して、今思えば少し申し訳ないことをしてしまった。
 楽しい時間というものは、それが楽しいものであればあるほど短く、その瞬間の匂いと色彩を鮮やかに残して去っていく。半年が経ち、学期が終わると、皆それぞれの国に帰ってしまった。私は、皆のなかで、自分が一番幼いと感じていた。実際にそうだったと思う。世間知らずで、いつも自信がなかった。どうしようもないほど傷ついてしまっている自分自身を、どうしたらよいのかわからず、その傷を隠すことに精一杯だった。もっとも、当時は、自分がそれほどに傷ついていることを、まだ自覚すらしていなかった。
 神様はまったくいたずら好きである。彼は突然に、私の前に現れたのであった。

 

二○二五年六月十二日 北京